『立憲と帝国』(筑摩書房)

台湾出兵(1874)~日中戦争の全面的な開始の間、日本は「内に立憲、外に帝国」が進行した。
しかし、その歩みは、従来言われているような「並行」ではなく「対立」であり、「立憲」化の盛んな時には「帝国」化が抑えられ、「帝国」化が進むときには「立憲」化が抑えられてきたということを、本書で著者は示す。
そして、なぜ「立憲」が最終的に「帝国」化を抑えられず、望まれていなかった中国への戦争が選択されたかを最終章で考察する。

坂野潤治『帝国と立憲 日中戦争はなぜ防げなかったのか』。筑摩書房。2017

近現代を、立憲と帝国のどちらが優勢だったかに着目し分けていく。
その際に、本書で主に見ていくのは、政府の主要なアクターであり、首相あるいは首相を支える勢力がどちらを志向し、また対抗勢力がどういったものかを分析していく。

1874(台湾出兵)~1895(下関講和会議)
明治新政府が内治優先か外国への積極的進出かで分裂状態。
帝国の動き:台湾出兵はこの中で、国際的に帰属の定まっていない琉球の領有を日本が中国に承諾させるために行われる(出兵理由として、台湾における琉球漁民の殺害事件への対応とする)。

立憲の動き:木戸孝允、板垣退助による「大阪会議」で動きが活発化。議会開設と戦争忌避の方針。この動きが1875の立憲体制樹立の天皇詔勅となる。しかし、ここから立憲化が進んだわけでなく、井上馨、福沢諭吉などの交流と離反など、それぞれの思いの違いから立憲の動きは停滞する。

帝国の動き:1882年の国会開設(を1890年に先送りする)の天皇詔勅。そして壬午事変により中国が強国であると認識した政府が、敵国を中国とし軍拡を進める。言論界も帝国化に加担する中で、対中戦争を回避するために伊藤博文が天津条約を成立させる。

立憲の動き:国会開設を見据え農村地主の支持を集めるために行政費削減・減税を掲げる政党が力を強める。これにより、議会は軍拡を予算により止める。

帝国の動き:清朝の東学党の乱への朝鮮派兵に対し、日本政府は対中戦争として出兵。世論も政府批判から一転して戦争支持へ流れる。

1895(下関講和会議/日清戦争の終了)~1917
帝国の動き:軍拡(1896年に長期計画を議会が承認された)

立憲の動き:一般国民は厭戦と租税軽減から軍拡反対

帝国の動き:日露戦争-朝鮮半島の保護国化、満州への進出。これにより、日本は対中緊張関係が高まり、中国を仮想的として満蒙権益を守ろうとする。

立憲の動き:男子普通選挙を目指す大正デモクラシー。
政府内では、桂園時代は陸海軍の軍拡方針と、農村地主(政党支援グループ)の権益保護の両立が図られた。
しかし、都市の商工業者が力をつけ、利害対立が多極化する中で、民主化が進み、普通選挙を求める声が高まる。

大正政変を経て、第二次大隈重信内閣では、普通選挙制度の導入提言(立憲)をしながら、第一次世界大戦開戦のなかでの対華二十一カ条要求(帝国)・軍拡へと進む。

1918(シベリア出兵)~1937(盧溝橋事件-日中戦争開戦)
立憲の動き:幣原協調外交(対米協調、日中関係の改善)、男子普通選挙の導入

帝国の動き:軍による政府への圧力、満州国の成立と承認、統帥権の独立、満州事変の拡大。そして盧溝橋事件
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