『新陰流道業六十年回顧録』(新陰流兵法転会出版部) 1章

10月に読んだ本。
『新陰流道業六十年回顧録』
渡辺忠成。新陰流兵法転会出版部。2009

新陰流を父親である渡辺忠敏(柳生厳長門人)および柳生厳長より学び、現在は新陰流兵法転会の宗主として活動している著者による、自身の修行や新陰流についての覚えをまとめ(第一章)、また、今まで雑誌等に寄稿したものをまとめ(第2章)たもの。

回顧録である第一章では以下のことが書かれている。
・厳長門人であった父との稽古は燕飛から始まり(この燕飛から始まる教習課程は氏が最後)、父親への伝授が進むにつれ父との稽古のなかで奥のほうにある太刀まで自然と身に付けていった

・厳長先生の生活を支えたのは、その息子の延春氏ではなく渡辺父子や分裂前の柳生会である

・厳長先生の没後、父親からの命で新陰流を教え始めた。これが「転会」の始まりであり、この初期段階で教習課程などの整備を薦めた。厳長先生の弟子で実際に教えることができる人は、自分を除いては名古屋の神戸金七氏(当時既に独立)くらいしかいなかった。

・昭和45~48年までの転会の活動は、柳生延春氏からの渡辺父子破門騒ぎ(延春氏母によりとりなされ破門取り消し)や、新柳生会との緊張関係はあったものの、新聞にも取り上げられるなど順調であった。

・延春氏については、厳長先生が後継者ではない(指名しない)と明言していた。それは、延春氏の技術不足と新陰流を継ぐ意志がないかのような行動による。

・渡辺氏の父親と延春氏の母親の相次ぐ死去により、著者と延春氏の間をつなぐ人もいなくなり、また、新柳生会が転会の会員を取り込もうとしたことから、著者は延春氏と袂を分かち、転会として独立した。

・独立後の教場、指導資料作成、機関紙、指導体系などの整備について

・新陰流の本伝の重要性について

何人かの新陰流を教える人たちについての言及もある。

大坪指方:十九世柳生厳周、次に厳長に師事。戦後の一時期厳長氏の生活を支えたが、支えきれなくなり疎遠となり、名古屋の神戸氏と一時親交があったが、渡辺父子と再会し、神戸氏との交わりを止める
江戸柳生家の研究者でもあり、現在その流れは武藤正雄-梶塚靖司、鶴山晃瑞-折笠勝美へ伝えられている。

下条小三郎:大坪氏の師。心形刀流の免許をもち、厳周から「目録」伝授。合気道の植芝盛平氏と親交があった。厳長氏とはささいなことで断交。

神戸金七:厳長の高弟であったが独立。尾張貫流、小野派一刀流などを経て厳周に入門し目録という経歴となっているが、新陰流の経歴については、著者の父より疑わしいとされている(存在しない新陰流裏宗家という呼称などを捏造。技法についても現代剣道を取り入れるなど改変している)。

加藤伊三男:神戸氏の後継者

鹿島清孝:厳長の制剛流抜刀術の門人。新陰流居合術(居合道)と改名したことで、厳長より破門。

旗嶺某:鹿島清孝氏の門人で、春風館(神戸氏、加藤氏の道場)とは関係ない。現在の新陰流和泉派と二蓋笠会に繋がる

柳生延春:厳長から新陰流については何も受け継いでいないと著者は見る(幼少より新陰流からは離れた生活、現代剣道へのコンプレックスからの技の改ざんなど)

Amazonでは著者のこちらのDVDの取り扱いがありました。
関連記事

テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

tag : 新陰流道業六十年回顧録

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

ホンの本好き

Author:ホンの本好き
読んだ本からオススメの本を、半分備忘録的に記録します~

最新記事
カテゴリ
最新コメント
FC2カウンター
検索フォーム
リンク
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる